時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

親ってなんだ。

私は、親に抱かれたことがない。

妻もないらしい。

妻は、生みの親を写真でしか見たことがない。

それも1枚だけ。

 

私は私で生い立ちが非常に複雑で、現在4歳下に妹がいますが、それまで私は『女の子』として育てられました。それに気づいたのは小学生低学年の頃。

アルバムをめくり、両親二人の写真があったものの、私の写真は数枚程度。

その中に赤いスカートを履いた女の子の写真がありまして。。。

 

この写真の女の子・・・誰?

 

と母親に訊ねたら・・・『〇〇〇(私の名前)だよ』と。

『本当は女の子が欲しかったんだよ』と。

 

ここで、私なりの子供なりの記憶の一線が繋がりました。

 

おもちゃ箱にリカちゃん人形あったなぁ・・

漫画雑誌の付録は、いつも女の子だったなぁ・・

 

これに当時の私は違和感を覚えることはありませんでしたが・・・

※今という時代だと『大問題』になると思いますが。

そして、過労で倒れた青年期のある日。精密検査で『あること』が判明します。

 

『脳の機能というか構造というか・・・あなたは特殊です』と。

 

私が小学校に上がってから、ものごとを教えてくれるのは祖父母でした。

実の両親から何も教えてもらったことは、ありません。

 

祖父母の口癖は子供の私にとっては結構厳しいものもありましたが・・・

祖母の口癖は下記のブログに書いてあります。

colors1971.hatenablog.com

用意しておくに越した事はない』

『いつか、そんな時代が来るから・・・』

 

これ、今でも私の頭の中にあり続けています。

 

まだ、他にもあります。

『人前に立つときは、背筋を伸ばしなさい』

『自信があるときは誇りなさい』

『人様からお話しを伺うときは正座をするか、相手の人より目線を下げること』

 

今でも思い出すと涙が・・・出ます。

そして、これが私の生活に生きている、という有難さ。

 

一方で私の両親は・・・

母親たる者は宗教や男遊びにのめりこみ。

父親たる者はギャンブルと酒と女遊びに明け暮れ。

 

祖父母・両親・妹・私で6人世帯でしたけど。私が社会人として家を出るまで。

一度も6人揃った記憶がないんです。

6人揃って撮った写真もありません。

 

両親が私たち子供に残したもの。(まだ生きてるらしいですが。私はどうでもいい。)

 

『多額の借金』

それだけです。

※現在は私が代位弁済という形で全額返済済みです。

 

一度、私の元に『扶養照会(生活保護制度の親族への確認事項)』が届きましたけど。

その場でシュレッダーにかけました。