時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

精神疾患退院促進事業

〇〇年前に私の記憶が再始動した季節-⑦

2回目の体験泊で、その障がい者施設への入所が決まりました。 病院からの退院と入所。 「無理やり感満載」の日程だったような気がします。 まず、退院の予定日と施設の入所日は勝手に決まっていて、3日ごとぐらいに、スーツを着た男性が病院に面会に来ました…

〇〇年前に私の記憶が再始動した季節-⑥

障がい者施設での1回目の体験泊は「失敗」と言えばいいのか。。 しかし、そこから1か月も待たずに2回目の「体験泊」が決まりました。 場所は1回目とは違った「障がい者施設」でした。 今思えば、「障がい者」に対する考え方、区分があいまいだったと思います…

〇〇年前に私の記憶が再始動した季節-⑤

おはようございます。 続きを・・・とは思うものの、波乱万丈の入院生活ではなく。 淡々とした入院生活でした。 なので、週1回の診察と、時々の検査。という感じです。 私が目を覚ました、翌年の初秋。 事が動き始めました。 私が入院していたのは、東京の山…

〇〇年前に私の記憶が再始動した季節-④

colors1971.hatenablog.com ある日の夕方の病院食。 小さなカップケーキが「おまけ」みたいな感じで、ついてきました。 いつもなら、ごはん・おかず・味噌汁。それだけ。 食べ終わってから、ナースステーションに訊きに行ったと思います。 あの、カップケー…

〇〇年前に私の記憶が再始動した季節-③

だんだん、「自認」の意識が高くなってくると、私が居る場所が「どこ?」とか色々と知りたくなりました。そこで精神疾患専門病院に入院していることを知りました。 あまり意識はしてなかったのですが。 私の持ち物は、ほとんど新品でした。 私が買い揃えた記…

〇〇年前に私の記憶が再始動した季節-②

colors1971.hatenablog.comレポート用紙に何かを書いて、手渡す。 これが毎日の日課になりました。 「書けたら、白い看護着の人なら誰に渡してもいい。」と。 レポート用紙に何かを書いて手渡すようになってから、1か月足らずくらい。 私は開放病棟に移りま…

〇〇年前に私の記憶が再始動した季節-①

タイトルが長いっすね。苦笑 でも、〇〇年前の・・ちょうど今頃の季節でした。 私が、「私」に気づいたのは。 精神疾患専門病院の閉鎖病棟の一室。 目を開けて、最初に見たのは、白い天井でした。 そこから、どれぐらい時間が経ったのかは覚えていません。 …