時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

〇〇年前に私の記憶が再始動した季節-⑤

おはようございます。

続きを・・・とは思うものの、波乱万丈の入院生活ではなく。

淡々とした入院生活でした。

なので、週1回の診察と、時々の検査。という感じです。

 

私が目を覚ました、翌年の初秋。

事が動き始めました。

私が入院していたのは、東京の山の中の病院。

病院から30分ほど歩かないと、民家やコンビニはありませんでした。

その頃には「自分で買っていいもの」の選択肢は増えていて、新聞や本・服、靴などは外出時に買ってきてよい。と。

最後まで買う事が認められなかったのは、傘。

先端が尖ってるから「凶器」の範疇に入っていたのだと思います。

傘がない。だから、雨の日の外出は認めてもらえませんでした。

 

お盆には病院の会議室らしきところに呼び出され、何回か話しをしました。

相手は、病院の看護師、担当医とスーツを着た男性が2人。だったかな。

内容は、

私を東京都の「退院促進事業」の対象者として、病院から退院させて、自立した生活をさせよう。

というもの。

かといって、その当時の私は、何が何だか判っておらず、私の答えを待たずして、その後数回にわたり、「会議のようなもの」があったと思います。

9月だったかな。

都内某所の障がい者施設(現在のグループホームらしきもの)への1泊2日の「体験泊」が決まり、その施設で寝泊まりしてみたのですが、施設管理者から「この人は、うちの施設に合わない」と言われたそうです。

 

【つづく】