時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

妻の意外性に改めて気づく

さて、深夜ひといきの間です。

 

朝は連日、春の小寒(こさむ)が続いております。

昨夕にエアコンを送風モードにして、そのまま就寝。

なんか寒いなあ・・・と肩の痛みを覚えて起きまして。

 

室温21℃。外気温13℃。

 

エアコンを暖房の微風モードに切り替えてから、眠れず・・・

 

日を追うごとに、妻と色々なお喋り。

最近は古代欧州とか近代政治の話し。

 

以前は

『私は高校を卒業してないから・・・』

と漏らしがちだった妻。

 

学校で教わったことが全てではない。

問いを持ったら現地に行くなり、ネットで色々調べるなりすればいい。

但し、いずれも本当のことか、そうでないのか、自分で見極める必要があるんだよ。

 

これで自信が持てたのか、フランス革命とか海外の紛争の話しをするようになり

ストライキができるフランスが羨ましい』と。

 

妻は親の愛情を知らない。※私も知りません。親という認識は捨てたので。

そして、東京から出たことがない。

生まれは旧蝦夷地。妻の先祖は蝦夷地開拓民かアイヌ民族の末裔。

ものごころつかぬ間に養女に出され、

ものごころ付いた時には児童養護施設での暮らし。

 

それから、法に触れるか触れないか、または除外されるかのような時を過ごし

障がい者施設で私と妻は出逢いました。

私も、あれが悪い、これが悪いと言える立場ではなく、辿り着く先はいつも病院で

『(当時の)普通の社会』から隔離され、行きついた先が障がい者施設。

この場所が今を迎えるきっかけになりました。

 

最初は喧嘩が多かった。『愛してる』が言えない私と、それが不満だった妻。

時に、『愛してるなんて言葉を安々と口にするような育ちじゃねぇ!』なんてね。苦笑

それでも一緒に居続けてくれた妻には感謝でしかありません。

 

もし、〇〇(妻の名前)さんに逢えてなかったら、どこかで野垂れ死んでたかもね。

なんて。苦笑

 

この地に来てから、妻と一緒に病院通い。

一時期はドクターショッピング状態になり、そのお金が生活を圧迫しました。

今は生活再建とまでいかなくても、それに近い状態になりつつあります。

病院や薬局から出される薬も減り始めました。

東京にいる時に季節を通して、何かしらの疾患と発病を繰り返していた妻の身体も

平穏さを取り戻しつつあります。

 

脳腫瘍の手術前だったか、医師の勧めで妻は知能テストを受けました。

結果はとても簡素で『特技に優れているが、それ以外は目標に対して未達な傾向』。

 

なんだよ、普通じゃん。

 

人間は探求心を持てば、それを深堀りします。それが特技になる。

その間に興味を持たなかったものには無関心になるので、当然と言えば当然です。

 

できるのであれば。

海外は無理であったとしても。

日本中にある自然と見たことがない世界を。

出来るだけ多く妻に見せたい。

 

その前準備段階として、夫婦2台分のタブレットを購入しました。

 

以上、『昭和ジジイ』でした。苦笑