時の満ち引くままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

【続】多剤投与の症状、再び・・と結婚10年目を目指して

 

再浮上してきた「多剤投与の症状=薬剤性パーキンソニズム」。

しかし、この病気の疑いが出始めたのは、コロナウィルスが日本に流入する前の話し。

不穏・不眠・過労その他で心身ともにボロボロで、その状況を当時受診していた精神科医に話したら一気に薬が増えた。

 

その精神科医は薬を増やして処方する際に必ず、

「〇〇というお薬が今回から増えますが、よろしいですか?」

と妻と私に確認していたのが、確認しなくなり薬は無言のまま増え続けて

私は倒れてセカンドオピニオンで検査を受けた。

セカンドオピニオンの脳疾患担当の医師から私の状態の「警告書」が精神科医に出た。

A4の紙に脳のCT画像と赤い文字の走り書き。

多剤投与による脳機能障害悪化の疑いが高い」。

この警告書を受け取った精神科医はすぐに居なくなった。

 

そこから病院の挙動が怪しくなった。

 

警告書が出た年の春。

その病院の精神科常勤医のほとんどがいなくなった。

入院病棟の外には解体したベッドの山ができた。

外来診察は予約制だったものが先着順に変わった。

そして、毎回患者で混みあっていた待合室がガラガラになった。

あまりの変わり様に看護師さんに訊ねたら「理事長と院長の方針変更による」との事。

予告もないまま病院の状況が急変したので、妻と私は転院を決めて紹介状を求めた。

 

転院を決めたら決めたで面倒だった。

夫婦揃って転院先で最初から病状を説明しなければならなかった。

「あとで、前の病院のカルテも確認しておきます」の医師のことばに救いがあったように思う。

 

転院先での受診2回目。

夫婦揃って前の病院で「処方していた薬が多すぎた」ことが判明し、減薬の治療方針が挙がった。一気に減薬すると危険な場合があるため様子を見ながら減薬するとの事。

そこから1年以上を経て、現在は手のひらに載る程度の薬の量に減った。

 

全てのことを「医者まかせ」にするのは危険だと思ったし、

減薬治療になってから過去に飲んでいた薬を「お薬手帳」を見ながら調べた。

主薬に対する副作用止め。その薬に対する副作用止め・・・永遠に副作用だらけの

メビウスの輪だった。

 

転院先の医師(現在の通院先)からヘルパーの利用制度の紹介が何度もあった。

断った。

何も知らない他人がズカズカと家に入ってきて、

「あーでもない、こーでもない」

は御免であーる。苦笑

 

段ボールに衣類、紙ごみが雑多に積み重なった台所は妻の協力もあって綺麗になった。

人が一人通れる動線を確保するのが精一杯だった台所は床が見えるようになって、あとはワックスを掛ければピカピカ。

あとは「要らないもの」の仮置き場になっている4畳半を片付ければ終わり。

「要らないもの」といっても事件・事故を印刷した紙や、それらを入れていた段ボールが殆どなので、気長にやっても来月のお盆くらいまでには片付くし。

 

今は6畳間ひとつで生活してたりします。苦笑

※台所・風呂・トイレあり。苦笑

節電・節約も重なって、夫婦喧嘩をしても6畳間生活。

夫婦喧嘩でも「落としどころ(納得し合う条件)」みたいなのが分かってきて

翌日になったら喧嘩したことすら忘れてます。

最近は「来月は何するぅ?」みたいな話しもしてみたり。

今月は寝具一式を新調します。高いのは買えないけど。苦笑

 

気が早いけど、来年で結婚10年目突入(?)です。

妻が年上だけど、私がそれを意識したことはありません。

妻も同じようで、たまに「〇〇〇ちゃん(私の名前)のほうが年下だったね。」と。

 

苦笑

 

身長差30センチの凸凹夫婦。苦笑

 

私が「妻と結婚したい」と話したら、猛反対した人たちへ。

当事者の間でしか、判らないこと。たくさんあります。苦笑