時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

妻との馴れ初めー④布団が無いっ!

案内された部屋は、2階の角部屋で絨毯敷きの洋室のロフト付き。

 

『ここ、先月まで外人の方が住んでたんですよ。』

 

という説明を聞きながら、窓をあけ、車が数台停まった晴天の駐車場を眺めたのでした。それと同時に『?』としたものが・・・

 

布団、どうしよっか?

 

レオ〇レスのスタッフが説明を終えて帰った後、妻と向かった先は『家電量販店』。

 

あのー・・・布団買いたいんですけど。

『どのようなものをご希望ですか?』

とりあえず、寝れればいいんで。二人で。

『少しお待ちいただけますか?』

あ、はい・・・

 

待つこと数分。

 

家電量販店のスタッフがダブルサイズの寝具セットを持って、戻って来た。

 

『今日から生活できるね。』と妻。

その顔は嬉しそうだった。

※妻は東京以外に出て生活したことは無かったらしいです。

 

ダブルサイズの寝具セットを買い、仮の住居となった部屋へ戻った。

 

しかし、ここでまた問題が・・・

 

『さっき、この部屋に来るときコンビニあったけどさー、スーパーは無いのかな?』

 

『スーパーあっても・・・鍋・・・』と言いかけながら、妻は台所の下を覗いた。

 

『あ、鍋、新品のがあるよ。フライパンもある!』

妻のその顔は楽し気で、何か新しいものを発見したようだった。

 

そして、そこから妻との共同生活が始まった。

その日から3か月後くらいだったと思う。

 

そろそろ籍入れようか・・・と口に出したのは私だった。

『うん・・・いいよ。』

でもさ、俺、親の戸籍から抜けようと思うんだ。

だから、一度、九州に帰る。

帰って、親と縁を切る。

面倒だけど、3日ここを空けることになる。

その間、我慢できる?

 

『いいよ。』

 

その年の9月某日。

私は九州へ向かった。

親と縁を切るつもりだったため、役所の戸籍課の職員に理由を説明し、司法や公的関係者以外は私たち夫婦の戸籍・住民票を開示できぬように手続きをした。

その手続きを終え、卒業した小学校へ向かった。

廃校になっていた。

中学校へも行った。

やはり廃校になっていた。

住んでいた団地へも行った。

空室になっていた。

 

歩き疲れ果てた時・・・心の覚悟が決まった。

 

これからは、妻と一緒に立ち続けよう。と。

 

そして、9月16日に婚姻届けを市役所に出しに行ったのだが。。

窓口の職員からは『おめでとうございます』の声掛けがなかった。

このことに妻は不満そうだった。

『普通、言われるんじゃないの?おめでとうございます、って』

 

入籍後、今の町に転居して、遅いか早いか8年。

時々、『あの時、なんで、おめでとうございます、って言われなかったの・・かなぁ』

と、作業している私につぶやくことがあります。

 

でもね。私はいつも、あなた(妻)に出会えてよかったと毎日思っています。