案内された部屋は、2階の角部屋で絨毯敷きの洋室のロフト付き。
『ここ、先月まで外人の方が住んでたんですよ。』
という説明を聞きながら、窓をあけ、車が数台停まった晴天の駐車場を眺めたのでした。それと同時に『?』としたものが・・・
布団、どうしよっか?
レオ〇レスのスタッフが説明を終えて帰った後、妻と向かった先は『家電量販店』。
あのー・・・布団買いたいんですけど。
『どのようなものをご希望ですか?』
とりあえず、寝れればいいんで。二人で。
『少しお待ちいただけますか?』
あ、はい・・・
待つこと数分。
家電量販店のスタッフがダブルサイズの寝具セットを持って、戻って来た。
『今日から生活できるね。』と妻。
その顔は嬉しそうだった。
※妻は東京以外に出て生活したことは無かったらしいです。
ダブルサイズの寝具セットを買い、仮の住居となった部屋へ戻った。
しかし、ここでまた問題が・・・
『さっき、この部屋に来るときコンビニあったけどさー、スーパーは無いのかな?』
『スーパーあっても・・・鍋・・・』と言いかけながら、妻は台所の下を覗いた。
『あ、鍋、新品のがあるよ。フライパンもある!』
妻のその顔は楽し気で、何か新しいものを発見したようだった。
そして、そこから妻との共同生活が始まった。
その日から3か月後くらいだったと思う。
そろそろ籍入れようか・・・と口に出したのは私だった。
『うん・・・いいよ。』
でもさ、俺、親の戸籍から抜けようと思うんだ。
だから、一度、九州に帰る。
帰って、親と縁を切る。
面倒だけど、3日ここを空けることになる。
その間、我慢できる?
『いいよ。』
その年の9月某日。
私は九州へ向かった。
親と縁を切るつもりだったため、役所の戸籍課の職員に理由を説明し、司法や公的関係者以外は私たち夫婦の戸籍・住民票を開示できぬように手続きをした。
その手続きを終え、卒業した小学校へ向かった。
廃校になっていた。
中学校へも行った。
やはり廃校になっていた。
住んでいた団地へも行った。
空室になっていた。
歩き疲れ果てた時・・・心の覚悟が決まった。
これからは、妻と一緒に立ち続けよう。と。
そして、9月16日に婚姻届けを市役所に出しに行ったのだが。。
窓口の職員からは『おめでとうございます』の声掛けがなかった。
このことに妻は不満そうだった。
『普通、言われるんじゃないの?おめでとうございます、って』
入籍後、今の町に転居して、遅いか早いか8年。
時々、『あの時、なんで、おめでとうございます、って言われなかったの・・かなぁ』
と、作業している私につぶやくことがあります。
でもね。私はいつも、あなた(妻)に出会えてよかったと毎日思っています。