時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

『評価』捨てれば『自由』あり

私は評価を捨てて時は二十余年か。

今は社畜と呼ばれる小屋に居たのだが。

『季節ごとに新製品を出せ』と言わんばかりの需要にこたえ。

ものつくりに携わる者、個の評価を求めるものは少なくとも私のまわりには居なかった。

 

ただただ無心であり、沈黙の号砲が鳴れば、それがスタート。

増産となれば生産支援。

協力企業を巡り、何が足りないかを尋ね、夜を共にする。

 

上司に名乗り出、私の役職を名刺から外せと、そんな日もあった。

時はCI(コーポレートイメージ)全盛期。

ロゴも外せと申し出た。

 

そうすれば、同じ目線に立てた。

 

親会社だの協力企業だのは関係ない。皆、ものつくり仲間だ。

増産となれば設備が足りない。人も足りない。限られた数の中で勝負に挑む。

発売日までに倉庫に山をつくる。そして早朝に皆でトラックに手を振る。

 

心配な時もあった。

量販店に行き、商品を手に取る姿に、皆で微笑んだ。

そんな日、あんな日あったかと今も思い出す。

 

ホームページを見た日。

今は国際規格を満たす企業になられたとの事。

 

じつは我が家の近くにある。

多分わたしを覚えていないだろうし、どの面さげていこうかと。

通りかかるたびに、出入りするトラックを見て、私は安心を覚えた。

 

咲き誇れ。自信があれば華やかになる。