さて、本日ひといきの間です。
今の若い人には『あって当たり前』の存在ですが。
実は、私が幼少期の頃からありました。
当時は無店舗で、行商的な存在。
だから、期間限定で地域の『文化センター』とかが販売場所。
すごかったです。
まあ、当時、偶然に見かけたものですから。※1970年代後半の話しです。
まず、モノクロの広告が新聞に折り込みで入りました。
大体、販売期間は3日。長いもので土日を挟んで1週間程度。
当時は『100円』という価値概念がありませんでした。
しかし、『便利』『質が良い』『品揃えが豊富』。
これは今でも変わりません。
世界進出果たしたくらいですから。
で、話しを戻して。
まず、販売場所に前夜(夜11時くらい)10トントラックが5、6台到着します。
荷台はウィング車が多かった印象です。
そこから、手作業で段ボールの運び込み(もちろん商品入ってます)。
当時は陳列什器が今みたいに豊富ではありませんでした。
なので、運び込んだ段ボール(商品入り)は会議用テーブルに平積みです。
段ボールは封を開けた状態で、隙間なく、ぎっちり平積み。
今はPOSレジで自動精算できますが、当時は手打ちレジでした。
不思議だったのは商品の値段をスタッフさんが全部覚えていたこと。
商品点数(種類)は軽く見ても、100点超です。
これ、どうやって覚えてるんだろ・・・
と思ったくらいで。
1回見たかなあ・・・筆文字で、でっかく『大創産業』って書いたトラック。
雨が降っても、台風でも、雪の日でも来たDAISO。
※私の地元では地域の人々の生活を支える『お祭り的存在』だった印象です。
今もみなさんの生活を支え続けている存在です。
※2027年で大創産業は創業50年を迎えます。