時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

復興と報道 阪神淡路大震災

1995年の昨日は『阪神淡路大震災』だったんですね。

 

私は、それを仕事場で知りました。

 

『おい!テレビ見ろ!テレビ!』

 

仕事場にいた皆がテレビに見入りました。

 

『これ、ニッポンか?』

『日本の(建築)技術は最高じゃなかったのか?』

自衛隊だけじゃ、間に合わねーな。。。』

 

倒壊した『阪神高速道路』。

脱線した『阪神電車』。

あちこちから火の手と黒煙が上がる街。

 

日がたつにつれ、震災の詳細が報じられるようになりました、

 

焼け落ちた商店街のアーケードの下を通る人。

焼失した商店であろう跡地を前に呆然とする人。

割れた窓ガラスから、ブラインドが垂れ下がったビル。

 

私の耳に入ったのは、各民間輸送事業者(トラック・バス)が余剰車両を被災地『神戸』へ余剰人員とともに送り出す・貸し出す、ということ。

それから民間商社が倉庫にある飲料・食料・衣類を神戸に支援すること。

 

『トラック、空(から)で神戸行かせるのに運ばせりゃいいだろ!』

 

フォークリフト、全数稼働。

『足りなかったら、その辺から借りてこい!金は後で払う!』

荷物を積み終えたら、次々にトラックは神戸へ。

 

『とにかく、迂回でもなんでもいいから、下(一般道路)だ。』

 

まだ、なんとか・・・携帯電話が普及しはじめたところ。

遠隔地の情報がいち早く流れるのはテレビのみ。

 

あとで知りましたが、新聞配達員や郵便配達員の方々が原付バイクで被災地をまわって支援物資を配給した、とのこと。

 

昨日で神戸は被災から丸28年。

 

政府や各機関が混乱する中で、いつも先に動く・動き続けるのは『民間』です。

暖かな椅子に座って『対策会議』は開きません。

 

人の命と暮らしが関わってるんだぞ!

 

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