時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

妻との馴れ初めー②

そんなこんなで、妻とは毎日のように、とある喫茶店で『モーニング』を共にするようになりました。

 

日がたつにつれ。

私は妻と会うのが楽しみになり。

時には『作業所なんぞ無意味なものには行かなくていい。』と妻に作業所を休ませ、午後のファミレスの一角に妻と座り、私が持ってきたノートパソコンでYoutubeを見ながら笑いあう日もありました。

 

しかし、私は屋外ではどうしても『周囲の目』が気になり、無口で妻と歩く日もありました。

そんな私を見かねてか。妻はこう言いました。

 

『私といると不快?なんで、何もしゃべらないの?』と。

 

『関係ない。いいんだよ!』と。そう返すしかなかった日もありました。

 

※別に当時は何かに対して怒ってなかった・・・と思います。が、妻にはそう見えたんでしょうね。

 

翌年。妻との『モーニング』は毎日の恒例行事になり。喧嘩することも多々ありましたが。

 

翌々年の初夏。妻と私には『ちょっとした事件』がありました。

私も妻もストーカーに付きまとわれるようになったのです。

 

私は障がい者施設の『スタッフ』としての仕事が板につき、外出時も首から『ネームプレート』を下げていましたから。それが原因だったようです。

 

妻は、障がい者施設の同じ利用者の男性から付きまとわれるようになりました。

 

その時の本音を言ってしまえば・・・『どうすればいいのか、分からなかった』。

というしかありません。

妻は『怖い。怖いんだよぉ・・・』と泣きじゃくり、そんな妻を私の部屋へ招き入れ、一夜を共にするようになったのです。

私の元へは、毎日夜中に不審なメールや無言電話が十数回鳴り、そんな部屋へ妻を私は招き入れてしまったのです。

障がい者施設の他のスタッフに相談しても、『危害を加えられてないのであれば、警察には相談できないから』の一点張り。

 

『もう・・・どうしようか・・・』と妻と膝を交えたものの、答えは出ず。

 

挙句の果てには『もう、(ここ)出ようか・・』と。

妻と何度も話し合い、今住むこの地への移住を決意したのです。

 

まだ、妻と出会う前。

私はこの地へ毎月のように通っていました。

持って行き場のない『自分自身への怒り』とともに。

 

ですから、ある程度の『ぼんやりとした土地勘』はありました。

 

そして移住決行の日。

とりあえず、妻と申し合わせておいた場所で、妻と合流。

その夜に泊まったのは、駅前の裏路地に見つけた、小さなラブホテルでした。

 

妻との馴れ初めー③へ続く。