時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

妻と昔話しをする時に想うこと

こんばんは。GW後半2日目。

我が家は、いつも通りの平常運転。

 

今年2月に今の我が家に引っ越してきたのですが。

それから。

妻と昔話しをする機会が増えました。

 

妻と私。二人とも昭和生まれ。

 

誕生日や育った街が違っても、結構多くの共通点があります。

 

二人とも毒親の元で育ち、元新興宗教信者2世という、これでも十分なのに他にも共通点がある。苦笑

 

妻は義務教育の間(小・中学生)のほとんどを児童養護施設で過ごしていました。

私は祖父母がいたから生きてこれたようなもの。

ですが。

私を児童養護施設に預けるか、どうするかという話しはありました。

新興宗教にのめり込み、働かない親でしたから、どういう状況かは想像できると思います。

 

「お腹が痛い」と私が言えば、十数回訴え続けて、ようやく救急箱から面倒くさそうに薬を持ってくる親。

妻は小学生高学年で盲腸になり、1週間ほどほったらかしにされたそうで。

そのときに痛みがピークに達して、妻は親に土下座して病院に連れてってもらった。

妻は腹膜炎直前で、親に医者が「あと3日遅かったら死んでたんだぞ!」と鉄槌を喰らわせたそうです。

 

私は最近ボーっと伊豆半島の地図を見ていることがあります。

伊豆半島には妻が出入りを繰り返した児童養護施設があります。

 

現在もお子さんの受け入れをされてらっしゃるので、場所の詳細は書けませんが。

 

何度か妻に

児童養護施設に行ってみない?」

と誘ったことがありますが。

 

妻に何かを思い出してほしいのではなく

私は、その当時の先生方がいらしゃれば、お礼が言いたいのです。

 

毒親に虐待や嫌味の言葉を受けながらも、その施設がなければ、妻はいない。

 

私は祖父母が居なければ、こうやってブログは書いてないでしょう。

 

ブログの家紋は、正確には私の苗字の家紋ではありません。

祖母の旧姓の家紋です。

鶴の家紋ですから、どこぞの新興宗教と間違われそうですが、無関係です。

 

話しは戻りますが、妻が盲腸になった頃。

私は「脊椎側彎症(せきつい そくわんしょう)」でした。

背骨が曲がっていたのです。小学校の健康診断で「疑い」を持たれ、精密検査とリハビリに連れて行ってくれたのも、祖母。

そのおかげで、見た目だけですが「五体満足」。苦笑

 

怪我をしたり骨折したりですが、私が病院になかなか行かないのは「病気=病院に行く」ということに、未だに罪悪感があるから。

この罪悪感だけが、大人になった今でも残っているわけで。苦笑

しかし、その罪悪感のおかげで強く生きてこれたと思っています。

 

妻に出逢う前、一度、生きるのを諦めたんですが。

 

記憶は未だに抜けている部分があります。

それが何か月なのか、何年なのか、判りません。

Googleアカウントやパソコン、携帯電話、スマホ、プロバイダの各種サービス。

探しても探しても埋まらない部分がある。

そんなモヤモヤが突如出てくることがあります。

 

まだ、記憶はこんな感じですから。