時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

8月1日 曇り

今日の未明、我が家の庇(ひさし)に叩きつける雨音で目が覚めました。

耳をふさぐほどの雷鳴と稲光と雨。

 

天気予報は晴れマークだったよなあ・・

 

と思いながら、テレビもパソコンも点けず、ぼんやりと煙草を燃やした。

考えごとだったり、ぼんやりだったりすると、あっという間に煙草は燃える。

東の窓が白み始めた頃に、ごみを出した。

涼しかった。

 

最近、妻がよく話すこと。

「宝くじの1等が当たったら」と「ポツンと一軒家」。

宝くじの当選金の使い道は妻の中で決まっていて、児童養護施設をつくりたい、とのこと。

 

今の世の中、子供を保護するのは簡単じゃねぇぞ。苦笑

 

と言ったら

 

「私みたいな生い立ちの子供を増やしたくないの。」

 

妻は父親の自死で生後6か月で養子に出された。父親の顔は写真でしか知らなかった。

それも成人してから本当の血筋の親戚から分けてもらった1枚の白黒写真。

母親は親戚一同から不評で、妻が貰った写真は母親が写ってあろう部分を切り取ったものだった。

当時は高価だったはずの表面がツルツル印画紙に写った、妻のお父さんの姿。

まだ首が据わるか据わらないかの小さな妻を抱え、微笑んだお父さんの顔。

 

これ、白黒の写真だけど・・カラーにできるよ。

「え?できるの?」

俺が関わった技術をあまーくみるでな~い!笑

 

デジカメの出始めの頃。

フィルムカメラデジタルカメラの両方で使える現像機をつくった。

その原理は未だ記憶の中にある。

光の三原色と色の三原色。

この利点を組み合わせればできる。

 

安いザラ紙の印画紙だと光の反射が弱いので色を発色させるのは難しい。

写真をパソコンに取り込んで、何層かのフィルターを掛ける。

特定の色を中心に濃くしたり、薄くしたり・・・

完全なフルカラーではなかったけれど、淡く色味をおびた「お父さんの写真」ができた。

 

「あのさ、できれば・・でいいんだけど。」

んーと、なにかな?

「名前、生まれた時の名前に戻したいの。」

そうかぁ・・そうするか。

「その名前はお父さんがつけてくれたんだ。

 できればお父さんのつけてくれた名前に戻りたいんだ。」

わかった。

 

妻はなぜか親戚一同を含んだ家系図を持っていた。

あとは養子に出されて、そこからの生い立ちがどうだったのか。

それを妻本人はどう思っていたのか。

名前が変わったことで心理的負担はどうだったのか。

妻のこころを迷わせるような病の発症はなかったか。

これらが証明できれば、一般人でも改名の手続きは出来るはず。

 

時期的には子供にキラキラネームをつけるのが全盛期で、それを悔いた親たちが子供の改名手続きに家庭裁判所の窓口に駆け込み始めた頃。

妻曰く、妻の親が「生みの親」と「育ての親」がいるのを妻自身が知り得た時から、妻自身の心理的負担は始まっていて、こころ・からだの一部に病がある、とのこと。

 

心理カウンセラーか精神科医の意見書か診断書があれば・・できる。

あとは当事者(妻)の夫の私からみた妻の様子。これさえあれば、改名できる。

 

一発勝負。

小田原の家裁支部に問い合わせしたら、横浜の家裁が管轄だと言われた。

初めての横浜の家裁。妻も私も緊張の一言。苦笑

取り寄せた妻の戸籍謄本と改名の申立書に所定額の印紙、診断書と私の意見書、それに妻が持っていた家系図の写し、唯一連絡がとれた親戚のおじさんの手紙を出した。

 

しばらくして、横浜の家裁から「妻本人から事情を伺いたい」と呼び出しがあった。

私も同伴。妻はかなり質問攻めにあったらしい。苦笑

 

それから2、3週間経った頃に横浜の家裁から「改名を認める」旨の封書が届いた。

 

そこから「私なんて・・・」と妻が言う回数は減った。

私が忙しくて聞かなかっただけかも知れないけど。

 

今の世の中、狂気と悲しみに満ちている。他人ごとに聞こえるかも知れないけど。

親・子供を問わず、自分の親族を簡単に殺める。

その前に「ご相談ください」との呼びかけもあるけど。

 

こういう事を私が言うのは、少し違うかもしれない。

しかし。

良き理解者が1人いれば、今、起こっている問題は、少し解決するかもしれない。

と思っている。