時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

夢の中で「過去」に引き戻される

先ほどコンビニのペットボトル回収機にペットボトルを捨てに行ってきました。

水道水の塩素が苦手な私たち夫婦にはペットボトル飲料が欠かせません。

 

お腹痛くなるから。苦笑

 

それまで私は仮眠してました。

時間にして2~3時間くらいでしょうか。

朝起きたら大粒の雨で、

「何もなきゃ、いいけどなあ・・」と思いながら。

※大雨が続くと、下水が溢れたり、道路が陥没する町です。

 

その仮眠での夢のお話しです。

 

誰も乗っていない気動車ディーゼルカー)に私は乗っていました。

田んぼが無限に広がる風景を観ながら。

トンネルを抜け、朽ち果てた無人駅に停まり。

トンネルや駅を境に風景が変わっていきます。

初老の男性が錆びだらけのトラクターに乗り、畑を耕す。

その畑には「ISEKI(井関農機)」の文字が入ったコンバインが片隅に置いてあり。

時節としては、田植え前かな。

 

少年期~青年初期。休みの日の「乗り鉄」は楽しみのひとつでした。

複数の鉄道線が乗り入れる駅は、いろいろな車両を見られるチャンスでした。

特急電車には興味が無く、近郊型・急行形気動車ばかり見てまして。苦笑

そのときのエンジンの音は未だに覚えています。

「これは(音が)軽いな」「これは(音が)重いなあ」なんてね。苦笑

 

国鉄がJRに変わる前だったと思います。

どこの線だったか忘れましたが、終端の駅で折り返しの発車を待つ列車の

車掌さんにお願いをしたことがありました。

 

あの、方向幕(行先表示幕)を回して見せてください。

 

「(小声で)内緒だよ。」

と言って嫌な顔ひとつせず、方向幕をくるくると回して車掌さんは見せてくれました。

「こいつは、特別な(列車・種別)のがねぇんだよ。音もうるさいしなあ。」

そこで夢が終わり、目が覚めたら我が家でした。

そのディーゼルカーは私の手元にあります。※模型ですが。苦笑

キハ66-7+キハ67-7

山陽新幹線 博多開業(1975/3/10)を見込んで設計・製造された形式。

 他の汎用気動車みたく大量製造されることはなく2両1ユニットx15本(30両)の製造のみ。数多くのトラブルを抱えながらも近郊型気動車(キハ40・47・48)、寒冷地用特急型気動車キハ183系)の礎になりました。

実車は廃車された、とのことです。

ja.wikipedia.org