時の満ち引くままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

本気で声を荒げた日

私にも、知人・友人がたくさん居たんですよ。

 

とある時までは。

 

未だにお付き合いが細々と続いてる方々もおりますが。

 

でも・・・去っていったというか、居なくなった知人・友人のほうが多いかなあ。

不治の病で去った人もいるし、色々と私に教えてくれながらも、愚痴も言わず、弱音も吐かず、黙って行方知れずになった人もいます。

 

しかしながら、私はこの歳まで『結婚式』に呼ばれなくても、ほぼほぼ『葬式』には呼ばれてるんですね。数にしたら、両手両足では足りません。

 

とある日。友人の親族の葬式に呼ばれたんですね。

 

当然、友人の顔は見られぬほどの惨めさ・・・というか。

 

ご焼香が終わり、出棺となった時。

 

私は思わず友人の胸ぐらをつかんでしまったんです。

 

 

おまえなぁっ!喪主だろうがぁっ!なんだその顔は!なんだ!その丸めた背中は!

 

 

友人の親父さんには、よくお世話になってましたから。

 

『いやぁ・・・困っちまってさ。。息子が警察のお世話になっちまって。

 無事に帰ってきて注意受けるだけで済んだんだけどよ。

 俺にゃぁ、息子が何考えてんだか・・・分かんなくなっちまって。。

 お前さんなら、息子の気持ちを少しでも知ってるんじゃないかと思ってさ。』

 

『アイツの事だから、何かあったんじゃないんすかねぇ・・・』

 

と、答えるしかなかった私。でも『息子の気持ちが分からない』と訴えてきた親父さんは私に何らかの友人の手がかりらしきものを・・・知りたかったのだろう。

 

友人と私の間に『事が事ですから』と、小声で割って入った男性の顔を見て私は正気に返った。

 

そして、私は身なりを直し、親父さんの遺体の入った棺に『最敬礼』をして、葬儀場をあとにした。

 

親父さんの葬儀から数か月後。友人から一通のメールが届いた。

 

 

 

元気か。この間は済まなかった。俺は本当は笑って・・親父を送り出したかったんだ。

でも葬式で笑って親父を送り出すなんて・・・不謹慎だと思われたくなくてさ。

俺の腹のくくり方が足りなかったよ。申し訳なかった。済まん。

 

追伸

親父の育った街へ引っ越すことにしました。嫁さんと子供連れてさ。

おまえは若いまんまだな。安心したよ。引っ越しが落ち着いたら飲もうぜ。二人で。

 

 

しかし、この友人から連絡がくることはなかった。