時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

あれもイヤ、これもイヤの果て

さーて、年越しの買い物を終えて、紙巻をくわえながら・・・これを書いております。

 

今年の夏だったか・・・と思います。

小学生の子を持つ親御さんから、こんな依頼があったんですね。

 

子供にはんだ付けを覚えさせたい、と。

お子さんの歳を聞いたら、なんと小学1年生!

 

いいんですよ。何かに興味をもってもらうのは。

 

ただですね。ちょっと私なりの『?(クエスチョン)』がありまして。

 

はんだ付けを覚えさせたい(覚えたい)、というのはお子さんご本人の意思なんでしょうか?と。

 

『あ。そうだと思います。』

 

お子さん、小学1年生ですから・・・色んなことに興味があるお年頃だと思いますが。

 

『あ、・・・・はい・・・』

 

お教えするのは構いませんが、その、なんと言いますかねぇ。。。

普段からゲームだのスマホだの触っているような生活だと、覚えられない子が多いんですね。

それで、そのはんだ付けを覚えさせよう!と思った親御さんのきっかけは、何でしょうか?

 

『いや、あの・・・その・・・、子供の教育にいいと思いまして。』

それだけですか?

『あ・・・はい・・・』

追加でご質問ですが、お子さんはドライバーでネジを締めたり、のこぎりで木の板を切ったりした経験があるんでしょうか?

『いつも、途中でやめてしまいます。』

 

無理です。習熟が見込めません。

 

『お金を払えば、教えて頂けますか?』

 

あの、・・・・ものをつくる事に対しての親御さんの考え方がそれじゃあ、失礼かとは思いますが・・・

お金を頂いても無理です!

 

ものをつくる、手順を学ぶ、技能を覚える、技術を知る、というのは実体験がないと、成立しないんです。

その・・・なんというか、、、『果てしないストイックさ』とでも言うんですかねぇ・・・

失敗あって、成功がある。

始めから成功して、次も・・・とやってしまうと、大抵挫折します。

それで、道具が悪いだの、気分が乗らなかっただの、言い始めます。

 

それで、何もやらなくなってしまう。

次に何かを学ぶときは『あれもイヤ』『これもイヤ』。

 

こういう人を、私は何人も見てきました。学校でも、会社でも。

 

『あなたは何がしたいんですか。』と問いたくなる時も多々ありました。

 

ものを覚えるというのは、『ほんの些細なきっかけ』から始まります。

 

そのきっかけを、もう少し大事にしていただきたい。

 

その小さな芽を持ち続けて、数年後や大人になってから再度挑戦する人も多数います。

そして実を結んだ人も多数います。

 

まずは、『失敗して当たり前』です。

 

私の経験の一つですが、

『ネジが金属板を貫通する瞬間の最後の力強さ』

 

これは私が『ものつくり』に携わる原動力になった、『きっかけ』です。

 

※現在の小学生の学習指導要領をを見たところ、『電池と豆電球の関係性』を学ぶのは、『小学4年生』からだそうです。