時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

クソ親父にチャンスを⑤

それから、数か月。

父親の評判は良かった。

 

ペンションのオーナーからは『罰金の30万、払っておいたよ。(父親の)給与から天引きになるけどね。』と連絡も頂いた。

 

季節は冬を迎え、高原のスキー場はどこも活気づき、そんな中、私は父親の働くペンションへ向かった。

ペンションの前や空き地には、スキー客を運ぶバスが並び、多客時を告げていた。

父親の仕事が終わった後、父親の部屋へ行った。

 

整然とされた部屋。だったが、部屋の隅に置かれたチューハイの空き缶に目がいった。

 

・・・もしや。

 

年が明けた頃。朝7時ごろ。私の電話が鳴った。

 

『親父さん、そこに居ないか?』

いや、居ませんが。

『部屋に居ないんだよ。寝坊でもしてるのかと思って行ったら、居ないんだよ!』

 

やらかした。逃げた。

 

『朝から申し訳ないが、そっち(私の部屋)行ってもいいかな?』

 

疑われている。私の部屋が。

 

2時間くらい後。オーナーが来た。

『いいから、車乗って!』

 

着いた先は親父の部屋だった場所。

 

『いくらなんでもなあ。。これ、見てくれよ。』

 

万年床のような布団の横に、整列したチューハイの缶と弁当の食べかす。

 

『近所の人がゴミ出しの時に、見かけたらしいんだ。荷物持ってる人。』

 

私は把握していた。その高原から朝6時前と昼・夕方と麓の駅へ向かうバスがあることを。

 

『なあ。更生できないのは、いつもこれなんだ。』

 

すみません。申し訳ないです。

泣きながら謝るしかなかったです。

 

どこまで、人の善意を踏みにじったら気が済むんだ!

 

『いいよ。なかったことにする。するけど。、俺は、ぶん殴っていいかな?』

いいです。ぶん殴っていいです。

 

私が殴られると思っていた。でもオーナーは殴らなかった。

 

お時間頂けますか。あと、掃除機借ります。

 

親父が居た部屋を片付けた。

 

チューハイの空き缶が2袋。弁当カスやその他ゴミ、1袋。

 

何事もない部屋に片付いたのは昼過ぎだった。

 

オーナーは麓の駅まで私を送ってくれた。文句ひとつ言わずに。

 

季節は夏を迎え、ペンションのオーナーは全国各地から評判を迎え、有限会社が株式会社になった。

 

『お元気ですか。〇〇です。』

 

手紙を出してみた。返事は無かった。

 

なかったことにする。そういうことだった。