時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

多軸搬送車

小学校入学を控えた前年の初冬だったか。

入学後だったか。

 

私の育った街では製鐵所主催の祭りがあった。

製鐵所を一般開放し、3日間は出入り自由。

 

私は、いそいそと正門内のバスターミナルへと潜り込み、見学者用のシャトルバスに乗り、木床のオイルの匂いを嗅いだ。

定員近くになると、発車。最後部の座席からは、乗り場へ横づけするバスの姿があった。

ほどなくして、広々とした場所にたどり着く。

 

そこには真ん中にターンテーブルがあり、放射状の線路が這っていた。

但し、南側は錆びかけた太いパイプの入り組んだ、やたらと高いものがそびえ立っていた。その下から鉱滓車を引っ張り出すディーゼル機関車の姿が複数あり。

 

機関車の塗装は上半分が朱。下半分がクリーム。

鉱滓車からは湯気が立ち、まさに出来立て。と言わんばかりの様子だった。

機関車の後ろには、鉱滓車が5、6両はあったかと思う。

編成によっては、機関車の後ろに鉱滓車5,6両、そのまた後ろに補助機関車が就いていた。(今でいうプッシュ・アンド・プル)

そして、これが、当時、ラジコンで整然と動いていたのだ。

機関車は今思えば全長16。鉱滓車は20。

それがゆっくりとどこかへ消えゆく。

 

案内人らしきひとが、説明をし、終えたら『次に行きましょう!』の大号令。

 

それに従って静然とバス停に移動する。

次に来たバスには『構内専用』の文字あり。

 

バスが次の見学場所に就くと、案内人らしきひとが、『ここが圧延でーす。』と大声を上げた。

 

その工場の天井近くには『係員専用』の通路と『見学者専用』の通路が張り巡らされており、ど真ん中には横長の筒を上下に持つ機械が横並びに列を成し、その列からは湯水らしきものが漏れ出ていた。

その列を前後にくぐるオレンジの縦長のかたまり。

前後にくぐるごとに、厚みが薄く、長さが伸びていく。

 

一通り見終えると、工場の横に水平移動式の足長クレーンがあった。

視点をずらせば、レール。クレーン用と鉄道用の2種類が敷かれ、そのまた横に圧延板のコイル巻き。

コイル巻きは輝きを放ち、木製の巨大パレットに縛り付けられていた。

 

『これは自動車や鉄道車両に使いまーす!』とひとこと。

 

おぉっ!と歓声が上がった。

 

そこに静かに鎮座した多軸搬送車があった。

『これで運びまーす!』

と案内人らしき人が指をさした。

『ダブルキャブ』ならぬ、荷台下部前後設置の『ツインキャブ』。

 

それからというもの。毎年通い続けたように思う。

 

ある年、製鐵所は君津への一部集約が決まり、同級生は消えた。

別れの時に笑いあうだけで、言葉は交わさなかったように思う。

 

妻と籍を入れる前。少しだけ、正門を眺めてみた。

昔の賑わいはなく、正門の看板は錆びだらけで、トラックが出入りしているだけ。

 

懐かしさとともに寂しさがあった。

 

私の頭の中に残り続けている文字がある。

 

『ご安全に』。

 

※多軸搬送車の写真は、日本車両様からお借りしました。

さんきゅう(山九