時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

レントゲン

レントゲン(X線検査装置)というと、医療機関を思い浮かべる方が多いでしょう。

意外!と思われる方もいらっしゃると思いますが。

 

携帯電話がガラパゴスだった頃。(PDC方式)

自動車電話が併存し、自動車電話の生産が数百台だった頃の話しです。

自動車電話シガーソケットからの給電のみであり、携帯電話の給電方式は充電式バッテリーと、何かと色々と複雑でした。

待ち受け時間はバッテリーが新品の状態で約1日だったかと。

ですので通話時間は2~3時間だったと思います。

 

液晶は白黒のドット表示で、なんとかやっとカタカナが表示できるもの。

通信事業者は入り乱れ、PHS(パーソナル・ハンディフォン)も併存で、ユーザーからは『どちらか分かりません』とのクレームみたいなものもあり(苦笑)。

 

そんな中で競争が始まりました。

無線機メーカーや家電メーカーがこぞって、携帯電話を作り始めたのです。

Y2K(西暦2000年)問題がくることを知らず、冬季長野オリンピックを目前とし、新製品だの最先端だのデザインだのと競い合いました。

※写真はNEC N101 デジタルムーバ のモックアップ(店頭展示用模型品)

 写真はモックセンター様からお借りしました。

 

また地域により、基地局の設置数の偏りが見られたため、携帯電話本体から伸びるアンテナの『伸ばし』が一時的に流行りました。

 

さて、レントゲンのお話しですが、当時、これを基板や部品内層部の解析に使い始めたのです。

昼間は生産ラインがフル稼働でしたので、解析は夜勤か深夜勤が多く、翌朝の出勤時まで続いた事もありました。

 

そんな中、携帯電話の待ち受け時間や通話時間の長時間化が求められ、部品不良・製品不良が多発。原因は複合的と予想され、部品交換してもバッテリーは持たず、本体基板は正常であり、と、原因不明のまま時が過ぎてゆくだけでした。

そして、1台のレントゲン(X線検査装置)を借り受けたのでした。

X線注意』『高電圧』などの様々なラベルが貼られた装置。

SMT(表面実装機)は導入済みであり、これを超える大きさであったこと。

※写真は『イメージ』です。

 写真は、愛工舎様からお借りしました。

 

このレントゲン(X線検査装置)を用いることにより、答えが出始めました。

 

『基板内層に亀裂がある』『FET(電界効果トランジスタ)の内部電極のゆがみ』と様々な答えが出始め、悩み続けて約1ヶ月。

待ち受け時間・通話時間の長時間化と大量生産化に成功したのです。多い時は月産100万台を超え、間もなくして折り畳み型携帯電話の普及に努めたのでした。

※写真はNEC N202 デジタルムーバ のモックアップ(店頭展示用模型品)

 写真はモックセンター様からお借りしました。