時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

散々な年初めの2024年・・・

まず。

2024年1月1日の能登半島地震

亡くなられた方、被災された方へのお悔やみを申し上げます。

 

それから。

2024年1月2日の羽田空港での

海上保安庁の輸送機と日航機の衝突事故にあわれた方、亡くなった隊員の皆様に

お悔やみ申し上げます。

 

この世に生まれて50余年ですが、元日から災害・事故と立て続けに起こった年は

初めてでございます。

 

羽田空港の衝突事故については、旅客機と、能登半島地震の被災者向け物資を積んだ海上保安庁の輸送機の衝突という、「災いが災いを呼ぶ」事故になってしまいました。

 

まず元日の1月1日ですが、能登半島地震(M7.6※推定 震度7)が発生した16時10分ごろ、私は自宅にいました。

我が家は神奈川ですが、ゆっくりとした「長周期地震動」が2回ありまして、家が揺れました。

発生時刻が日没直前ということもあり、道路・鉄道などの情報がネットかテレビを頼るしかなく、地震直後に港に押し寄せた津波を確認できたのは、翌朝のニュースでした。

 

政府や総理の記者会見よりも、自衛隊の動きが速かったですね。

被災地や周辺の道路が陥没・崩落するなどして、「ほとんどの道路で大型車での救援物資搬入が不可能」と判ったのは、翌日1月2日の昼前でした。

 

ですので、災害発生から3日目の今日でも通行不能な道路があります。

救援物資があっても被災地へ運べない。

物資の支援要請は水・食料・衣類・寝具・暖房器具・段ボール等の簡易間仕切り・ブルーシート・大型重機・ガソリンなどの燃料・・・

 

通信・道路状況が悪いため、孤立集落の実情が掴めていません。

 

この時から気にはなっていたんですが。

 

国土地理院の発表によれば、

能登半島で最大3メートルの地殻変動があった。

とか。

これも、高さなのか、長さ(距離)なのか、判明していません。

 

輪島の朝市街が燃え尽きていく映像を見た時は、昔の「北海道南西沖地震(1993/7/12)」の津波にさらわれた奥尻島の姿と重なり、倒壊したビルを見た時は、阪神淡路大震災を思い出しました。

 

今も、能登半島を中心に揺れ続けています。

※資料はウェザーニュース様より

 

地震の周期は短いものだと1分程度です。

怖いのは「揺れに慣れてしまうこと」です。

建物や道路の耐震規格は全部同じでありませんので、注意が必要です。

 

しばらくは緊張感をもって日々の生活を送った方が良さそうです。。。