時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

クソ親父にチャンスを③

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その人が話し終わり、私がメモを取り終えたのは、夜の寒気を感じたころ。

季節は秋口。

 

事務所を出る際に、用意しておいた茶封筒をその人に差し出したのだが。

その人は笑顔で受け取らなかった。

 

『また、来なさい。忙しかったら電話でもいいから。』

と単色刷りの名刺を私にくれた。

 

翌日、私は電報の差出人の男性に連絡をした。

 

釈放後、3日間は父親の面倒を見てくれるとの事。

それまでに速達や電話で連絡や書面のやりとりをする事。

父親の生活費・私の家までの交通費は私が面倒みる事。

父親に貸していたカネは無かったことにする。但し、これ以上頼ってくれても困る。

・・・いろいろな条件が続いた。

 

幸いにも私は繁忙で、カネ的には余裕があった。

が、翌日に届いた郵便物の束が不審だった。

消費者金融・個人、借金督促状の束だった。

 

とりあえず、だった。

聞いておいた電報差出人の口座へ10万を振込み、そのあと、その旨を電話で告げた。

父親が釈放される3日後の夜に九州を発つ夜行高速バスに予約、チケットを印刷して、手紙に同封して郵便局に出した。

九州発名古屋乗り継ぎ。着地、松本。

会社には、『父親が遊びに来る』といい有休を1週間頂いた。

 

布団に寝た記憶はない。

 

父親は私の元に置けても、1週間。

それ以上居られても、仕事の邪魔。

有休の間に、寮付きの『父親の仕事』を探さねばならない。

 

思いついたのは『異業種交流会』で知り合った人だった。