時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

未だに、ぐるぐるしてる事***大人?子供?***

こんばんは。

 

昭和のバスの模型が手に入ったことで、少し子供の頃を思い出しました。

colors1971.hatenablog.com

 

私は、集団行動、災害訓練などを通して、いろいろな教育を受けてきました。

 

中学校では「もし、愛する人ができたとき」をテーマに「命」の教育も受けました。

しかし、未だに納得しきれていない事があるのです。

 

それは

 

もし、愛する奥さんと、自分の子供が

川で溺れていたら、

どちらを先に助けるか?

 

この授業を行った先生は、

「先に助けるのは奥さん。子供は次だ。」

と言い切りました。

 

この言い切った言葉に、生徒から質問がぶつけられました。

 

しかし、先生は

「奥さんを先に助ければ子供は、また授かる。

 しかし、子供を先に助けたら、子供は授かれない。」

と答えました。

 

「子孫を残す」という考え方では、それが正しいのかも知れません。

 

ただ。

そういう現実を目の前にして

そういう判断ができるのか?

 

この疑問は、授業の終了のチャイムが鳴ってしまったため、未回答のままなのです。

 

「今日は、ここまで。」

という冷たい言葉で授業を終えた先生に、いくつもの罵声。

 

自分の家族だったら、全員助けたいって思うだろ!!!

助ける命の順番って、なんだよ!!!

 

など、など。。。

この先生と生徒の間には、卒業まで溝ができました。

 

この間の答え、教えてくれよ!!!

 

と教室内に生徒から罵声が飛べば、「はい、今日は自習にします。」。

 

逃げてんじゃねーぞ!クソ野郎!

 

いつも、こんな感じだった。

 

大人になった今だから判ることですが。

やはり「子孫を残す」という考え方では、正しい選択だと思います。

 

しかし、愛する人が、家族が、目の前で溺れている。

その状況でパニックになりながら、

どちらから助けるか?

なんて考えられない。

 

コロナ禍でも

重症者と軽症者、

基礎疾患のある人、ない人

などで「命の選別(トリアージ)」がありました。

 

命は平等。

しかし、救命となると、命の選別がある。最後は誰かが決めること。。

永遠の人間の課題ですね。

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