時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

ここだけ「昭和」です。。

さて、あとは寝るだけです。苦笑

「寝るの早くない?」と思われる方もいると思いますが、

眠いのです。

服用してる睡眠薬の量に慣れてきたのか、疲れているのか・・・

判りません。苦笑

 

ところで、GW中に手に入れた「バスの模型」。

大阪市交通局 いすゞ自動車(シャーシ・エンジン)+西日本車体工業 42MC(車体)

▲西日本のバス事業者の一部で流行った、「巻き込み防止板」が左後輪に付いています。

※昭和42年設計・製造開始~昭和52年頃まで製造

 

当時の自動車は2サイクルエンジンが主流でした。

いすゞ車ではないですが、私が初めて観たのは日産ディーゼルの4R系シャーシ。

日産ディーゼル車はエンジンルームの点検蓋の一部が網状になっていました。

 

2サイクルエンジンですから

まあ、「うるさい」なんてもんじゃーない。苦笑

轟音(ごうおん)そのもの。

音で一番近いもの・・・は、「人間が、うがいする時の喉の音の数百倍」って感じですかね。苦笑

運転席のシフトノブが「ロッド式」で、上り坂で変速するとギアが入らないことが多かった印象があります。

また、あまりにも轟音のため、過疎路線(1日にバス3本とか)ではバスの轟音が「朝」「昼」「夕方(最終便)」を知らせる「時計代わり」になったという笑い話があります。

 

この車体ですが、昭和47年頃まで京成車体でも同様の車体が製造されました。

西日本車体工業から京成車体への「製造ライセンス供与」があった、とかで。

が、ほとんど関東地方では普及しませんでした。

西日本では大阪・京都以西のバス事業者で見ることができたと思います。

 

昭和終期あたりに車体の天井の形状から「カマボコボディ」のあだ名が付きました。

特徴は、なぜか後面が「くの字」という他社製造の車体では見られない形状。

強度上の都合だと思いますが。

 

これくらいの古さになると、なかなか資料がありませんね。

 

昭和42年設計・製造開始。

私より少し先輩ですが、農家の倉庫として使ったような廃車すら残ってない。。

 

時代ですなあ。。