こんにちは。今日は小春日和を思わせる晴天でした。
ずっと気になってた建物がありました。
「ビルのように見えて、最上部に屋根がある。」
ということで今日の午後、現地へ伺いました。

納骨堂などを建物内に併設する寺院なのか?
宿泊施設やオフィスビルなら、こんな屋根は付けないよね?
もうひとつ不思議な地名。
ドリームハイツ。ドリームランド。
直訳すれば
夢の家。夢の園。
横浜市中区に「横浜市ドリームランド」という飲食店(居酒屋?)がありますが、そことは無関係です。
今回の「ドリームランド」「ドリームハイツ」は横浜市戸塚区のお話し。
住所の詳細は「横浜市戸塚区俣野町」です。
■最初に「日本のディズニーランド」を目指した会社
「昭和の興行師」と呼ばれた松尾國三率いる日本ドリーム観光が、毎日新聞社の後援のもとに総工費約200億円を投じて建設した。松尾はかねて「観光立国」を標榜し、東京近郊に一大娯楽施設を開設することを目論んでおり、奈良ドリームランドの姉妹園として、1964(昭和39)年8月にオープンした。
開園当初の横浜ドリームランドは「日本のディズニーランドを目指す」という松尾の構想に基づき、横浜郊外の小高い丘陵丸々一つを開発した約132万平方メートルの広大な敷地に、遊園地やボウリング場、スケート場、ショッピングモール、映画館を備えた、当時の日本国内では屈指のレジャー施設であった。 開業翌年の1965年(昭和40年)には、敷地内に当時の国内で随一の高層建築物であった「ホテルエンパイア」も完成した。※Wikipediaより
↓↓↓これが、元「ホテルエンパイア」だったのです。↓↓↓


地下2階、地上21階。設計・施工は大林組。1964(昭和39)年着工、1965(昭和40)年3月竣工(完成)。
霞が関ビルディングに先駆けて建設省の高層建築物構造審査会の審査に合格した日本初の超高層ビルとして10億450万円の建設費を投じ、完成当時は地下2階地上21階、高さは建物部の軒高が77.7m、尖塔と避雷針を含めて93mであり、工事期間は僅か1年という突貫工事だった。※Wikipediaより
ざっと計算しても1階(フロア)あたりの最低天井高は3m以上が確保されていることから、当時は「開放感のあるホテル」として持て囃されたことでしょう。※俺個人の所見です。
今でも天井の高い部屋を持つ家や宿泊施設は人気ですよね。
■裏目に出た利便性の確保
開業から2年後の1966年(昭和41年)5月2日には、それまで路線バスまたは自家用車に限られていたドリームランドへのアクセスの目玉として、当園と国鉄(当時)大船駅とを結ぶドリームランドモノレールが開通。路線バスでは15分であった大船 - ドリームランド間の所要時間を、約半分の8分に短縮するという触れ込みであった。 しかし、ドリームランドモノレールは設計上の欠陥により、わずか1年4か月後の1967年(昭和42年)9月24日に運行休止に追い込まれる。その代替として神奈川中央交通のバス便を平日70往復、休日300往復させる措置が取られたが、ドリームランドへのアクセスは再びバスか自家用車に限定されることになった。
■「たどり着く前に疲れる遊園地」
開園前まではのどかな田園地帯であった戸塚一帯も、この頃には高度経済成長によって急激にベッドタウンとしての開発が進んでおり、モータリゼーションの発展もあいまって道路交通量は著しい増加をみせ、特にバス・自家用車ともにドリームランドへの通過点となる国道1号原宿交差点は、神奈川県内でもトップクラスの渋滞箇所となっていた。
このため、バスの場合では大船駅から道路が空いていれば15分あるいは20分程度で済む乗車時間も1時間近く要することが頻発し、東京都内や横浜市街から自家用車で来場するケースにおいても、週末などは鎌倉や湘南方面へドライブする車と競合し、原宿交差点を先頭に横浜新道内まで5km以上も続く渋滞が常態化した。
いずれの場合においても、来場者はレジャーを楽しむ前の段階で少なからぬ時間の浪費と疲労を強いられることになった。
夢を見た街を見下ろす。■■ドリームランド(横浜市)■■②へ続きます。