時の満ち引くままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

大仏・だいぶちゅ・DAIBUCHU ③人と人

スマホのナビを使いながら歩くも鎌倉駅に着かない。苦笑

江ノ電の長谷踏切の手前、長谷観音交差点を左に入る。

ここから鎌倉駅までが一番長かったかも。

 

最近いろいろと思い出すことがありまして。

まだ、妻と出逢う前。

プロテスタントの炊き出しボランティアをしてたことがあります。

障がい者グループホームに入所してから数か月後。

アルコール依存の家族会に参加をしまして、それが縁で1年ほど参加させて頂きました。

 

経緯を話すと長くなるので略させていただきますが、

なにか事を起こすとき「皆で祈り、ラッパを吹鳴する」プロテスタントです。

※人の生き死に、宗教に関わる人なら判ると思います。

 

炊き出しは月に1回でした。

その頃には都内の公園は「煮炊き禁止令」が出回り始めていて

作りたてのカレーや豚汁の配布が難しくなった頃でもあります。

 

そのプロテスタントには色々な特徴がありました。

日本の新興宗教みたく、信者に無理強いをしない。

宗教上の役職はあれど、神の前では皆同じであること。

賛同する人の信教がどうであれ、それを拒まない。

 

炊き出しなどの慈善事業の活動源は「寄付」でしたが

必ずしも「現金」ではありませんでした。

寄付物は着なくなった衣類、使わなくなった家電製品、貴金属(いずれも破損品は除く)等が主で、それを修理・再生してバザーで販売をした収益を慈善事業の活動費としていました。

その当時は毎週金曜・土曜がバザーの開催日で、月曜~木曜はバザーのための準備。

日曜は礼拝があった為、お休みでした。

寄付物は都内の施設で修理や分別・再生をしていました。

多い時で衣類だけでも1日あたり2トントラック1台分。ほとんどが宅配便で届きました。

「きちんとされてるなあ。」と思ったのは、施設に着荷する宅配便はすべて「発払い」だったこと。どんなに重くても、箱数が多くても、「発払い」でした。

多くの衣類はクリーニングされたものが多く、施設に着荷した後に値札を貼れば、すぐ売れるものが多くありました。

 

炊き出しは公園の使用許可を取り、キッチンカーや製パン会社のトラックを路肩に留め置くことから「道路占有許可」も取っていたようです。

炊き出し当日の午後から、会場周辺で路上生活者への整理券を配り、配布する食料に余力があれば並びなおしてもらって、2回分お渡しすることもありました。

 

炊き出しの問題のひとつ。食べたあとのごみ。

「むやみやたらに、ごみを捨てれば、炊き出しが出来なくなります。」と参加した路上生活者の皆さんに呼びかけ、会場内に大小のごみ箱を設置。ごみは施設に持ち帰って処理していたようですし、炊き出しが終わった後に、会場と周辺のごみ拾いは必ずやってました。

会場の一角には、呼び掛けで集まった理容師さんが、調髪を希望する人の髪を次々に整えていました。

 

ボランティアの役割分担も手早くて、「初めて参加する人」「2回目以上の人」と分けて指示を出し、会場で使う照明の発電機を置く位置や、配布する食料を配る人、袋に入れて準備する人の立ち位置まで決まるのが早かったこと。時間にして30分程度で50人前後のボランティアの配置が決まるのですから。

食料の煮炊きは、駐車スペースに停めたキッチンカーでやっていました。

公園内が「煮炊き禁止」だった頃の苦肉の策・・・だったのかな?

 

参加する路上生活者の人にも「心得」はあったと思います。

食料などをお渡しする際に、アルコールの臭いが誰からもしなかった。

それから、挨拶。人によっては、こちらから挨拶するよりも先にお声掛け頂くなんてことも。

 

最後のボランティアが終わった日に、聖書をいただきました。

「すぐに読まなくてもいいです。

 ただ、もし困ったときがあれば

 この聖書を開いてみて下さい。」

 

その聖書は、失くしてしまいました。妻と一緒になった時はあったのですが。

 

施しを与えるもの。施しを受けるもの。

そんな境界線は無かったようにも思います。

人と人。

ただ、それだけ。

 

それから、もう13年以上経つんですねぇ。