時の満ち引くままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

偶然か、必然か。

昨夜の嵐が去って、今日は朝から大晴天

ということで、こんばんは。

ジジィ(私)でございます。

 

「大晴天」と書いたのは

今年(2024年)の3月26日をもって

全国の主要な気象台での目視観測を終了し

気象表現の「快晴」が廃止されたためです。

 

ということで、今日は久々に模型探しの旅に行きました。

特に目を引くものが無ければ買うものは決まってましたが・・・

え?

なぜ、ここにある?

なんで国鉄のマークが付いた模型がここにあるんだ???

 

国鉄末期にジョイフルトレイン種車(たねしゃ)になりまくった、キハ58。

んーと、四国か東北か九州・・・

でも、屋根上に冷房装置が載ってない。

東北?

 

三陸鉄道乗り入れ用「うみねこ」。

なぜか、この1両だけがリサイクルショップで売られていたのでした。

たしか実車は、2両か3両かあったはず。

 

参考までに、冷房が付いてる車両だと屋根上がこんな感じになります。

 

鉄道もバスも、今は空調装置が付いているのが当たり前。

しかし、国鉄時代は車両を新製する際、「非冷房車」「冷房工事準備車」「冷房車」と3つに分けていました(新幹線を除く)。

車両を新しく作る際に「空調装置」の代金をケチるぐらいに債務が膨れ上がっていたのです。

 

東京オリンピック直前の1963年(昭和38年)には1,776億円の赤字を抱えていました。

時は「高度経済成長期」

大都市とその周辺の幹線は輸送力不足。

一方で高速道路の新設・延伸で旅客・貨物ともに「自動車輸送(バス・トラック・自家用車等)」への流出が始まります。

そして地方の支線では石炭・農産物輸送が減り、残った旅客事業では採算が取れなくなっていきます。

 

国鉄分割民営化の昭和62年には債務の総額は37.1兆円まで膨れ上がりました。

令和3年時点でも、国鉄時代の債務は15兆円以上残っているのです。

リニア中央新幹線、作ってる場合じゃないんですけどね。苦笑

 

これは私見ですが、

JR各社の間で車両の売買・譲渡、技術共有がもっとあってもいい。

と思うんですが。

不採算事業は協力会社に任せて、不動産転がしてんじゃねーぞ!って。苦笑

これ以上書くと・・・なので、やめておきます。苦笑

 

あー、脳味噌が昭和に行ったり、令和に戻ったり・・・

忙しいです。

時間旅行に行けるなら、行きたいわー。。