時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

さて。

ということで、いろいろな方々にご反響(ご半響?)頂きまして、

誠にありがとうございます。

※誤字・脱字、もうしわけありません。

 


1月、速かったです。※今、問題の『リニア』のスピードは超えたはず。苦笑

2月は『逃げる』

3月は『去る』

4月は『知る』

5月は・・・?笑

 


やはり、祖母の口癖でした。小学校の先生も言ってたかな。

 


もうすでにいろいろ始まっていて、春の統一地方選挙とか。

結局は組織票なんですよ。

それでまあ、私は組織の人間ではないので。

 


自由です。笑

 


投票は行きますよ。

 


ですが。

 


自由です。笑

 


最近思うんですよ。

 


看板下げてる候補者より、無所属無推薦の人が、

国民の生活に沿ってるんではなかろうか。と。

 


私的予想ですが。

今年から数年間は転換期になるだろうと。

 

ものつくりにも転換期があります。

デザインも、機能も、いろいろと。

 

でも産業革命が原点であって

その延長線上に過ぎない。

それを否定することはできない。

 

ただただ需要や可能性に応え

あるものは堪え

 

その繰り返しです。

 

時に、ものつくりは、ホームランを打ちます。

ヒットも打ちます。

打ちますが

忘れ去られます。

 

そして、いつも

特番が組まれたり、雑誌の企画が組まれたり

 

ですが、それらをつくった人は

いません。

 

いたとしても

懐かしさとともに

こころのなかで

なにかを握っています。

大切に。

 

これだけは譲れぬ。語れぬ。と

 

眠れぬ夜を過ごし、青図面を眺めながら

カップラーメンをすすり

繁忙は食事の時を与えず

 

黙って表舞台が閉じれば

それに従うだけなのです。

 

そのデザインは『2年早い』『流行らない』と言われようが

世に出して需要があれば

黙って微笑む

 

静かなときがゴールだと信じて。