時のすぎゆくままに

俗称:障がい者夫婦。上手くやれるわけないと否定された世の中を、なんとか、かんとか生きています。

キハ28引退・・・

報道でご存じの方も多い思われますが、いすみ鉄道『キハ28 2300番台』が定期運行終了とのこと。国鉄色というインパクト。エンジン音の軽さ。車体の丈夫さ。。。

 

全盛期には『急行』『準急』『臨時』・・・グリーン車『キロ28』や2エンジン車『キハ58』、高出力『キハ65』を含む10両編成とか。※一部情報によると特急車両の故障の為、その代走を務めていたこともあるとか。

また、終着駅折り返し発車時まで時間がある場合、編成の一部を切り離し短編成化して、ローカル支線での普通列車としての間合い運用など。

一般的には『キハ28+キハ58』が多かったですが。

 

全盛期を超えますと、結構過酷な運命辿ることに・・・

 

国鉄民営化』。

 

その時、私は青年でした。

客室内を一部改装し出入口付近をロングシート化した車両もあれば、JR各社の『コーポレートカラー』をまとった車両もあり、心境は複雑でしたね。

 

国鉄時代には上級種別の列車の運用についていたにも関わらず、国鉄民営化後はローカル支線・本線を問わず、普通列車運用から急行・臨時運用まで。

またジョイフルトレインに改装された車両(今はほぼ廃車)も数多くあります。

 

キハ28・58・65(グリーン車はキロ28)・・・北海道または寒冷地仕様はキハ27・キハ56(グリーン車はキロ26)、これらが後のキハ66・67、キハ91(試作車)へと発展していくことになります。※諸説あります。

 

一番身近だったのは、キハ28・58・65・66・67だったかな。

キハ66・67はわずか30両(2両ユニットx15編成)だったはず。

これは、山陽新幹線博多開業時を見込んで作られた車両形式であり、登場時は400馬力を超えた車両形式。急行運用・快速運用・普通運用と3足のわらじを履き、福岡地区を中心に駆け抜けた車両(登場時の所属は直方気動車区)。

製造両数が少ないのは、エンジンが大きく高出力がゆえに、ラジエターを屋根上に搭載し放熱が悪く故障が多く騒音も大きかった。。。のちにエンジン出力を落とすなど改善は見られましたが。

またキハ28・58等の客室内装を一新し、トイレを車両ごとに設置していたものをユニット毎(2両ごと)の1か所に集約。従来のボックスシートを転換型クロスシートへ変更。客用出入り口付近は2名または3名用の小さなロングシートロングシート部は立席客のことも考え、つり革・握り棒を備えていた・・・(現在の『セミクロスシート』みたいな?)というある意味、『なんだ、こりゃ?』みたい印象を受けました。

 

客用出入口扉は車両片面あたり2扉なのですが、通勤ラッシュの快速運用時も考えて両開き引き戸式2扉へ変更(キハ28・58・56・27は片開き引き戸式2扉でした。)

編成組成時も難点があり、2両ユニット(キハ66+キハ67)で運用しなければならなかったこと。

前形式のキハ65は車両片面あたり2扉の折り戸でした。

 

客室窓も特徴がありました。

キハ58・28系は1枚窓。キハ56・27系は一回り小さな二重窓。そしてキハ65は2段型サッシ窓。キハ66・67はユニット式2段型サッシ窓(見た目は4枚窓※形状的には漢字の『田』)。

車体前頭部(運転台設置部)もキハ40・47とそっくり。

なのに、急行色(?みたいな)。

オレンジ単色塗装にしてしまえば、一見・・・見分けがつかないのになあ。。。と思ったり。

 

もう、そんなになるのかぁ。。。

 

時代の流れを感じます。

気動車も今は『架線蓄電(バッテリー)式』に置き換わるなど、国鉄形式が消滅していく。。。JNRからJRへ。。。

 

電車の話しはまた別で。

 

※次回は『直立不動30秒の長さ』という話しです。